愛媛県南西部と宮崎県東部の海峡には、流れの速い豊後水道があって、アジやイワシ、鯛やカツオの身の引き締まった魚が水揚げされています。
今回は愛媛県の漁師めし「ひゅうがめし」を紹介します。愛媛には二通りの鯛めしがあります。東予、中予で作られる鯛めしは、一般に知られている「鯛の炊き込みごはん」。もう一つは南予の鯛めしで、敢えて「ひゅうがめし」と呼ぶものがあります。
「ひゅうがめし」は愛媛県南西部に位置する宇和島や愛南町、西予市明浜町などで食されています。日向めしにはタイのほか、アジやイワシ、マグロを使うこともあります。これらの魚を刺身にして、卵を入れたタレに浸し、炊き立てのアツアツご飯にかけて食べる料理のルーツになっているのです。
作り方は新鮮な鯛を三枚に下ろし刺身にします。炒った白ごまをすりつぶし、刻み葱やミカンの皮のみじん切りを、醤油、日本酒、みりん、砂糖を混ぜ合わせたタレに、刺身を付け込みます。卵を溶いて調味料を入れ、調味料となじませたものを炊き立てのごはんにかけて、刻んだ海苔をふりかけて食べます。
新鮮な魚ならではの口あたりと、醤油ベースのタレに溶き卵を使ったタレが絡んだご飯は絶妙なうまさを演出します。日向めしをお茶漬けにして食べることもあるようです。
日向めしの成り立ちは、漁師めしという説と、水軍たちが考案したという説もあります。宇和海の日振島を根拠地にしていた伊予水軍が、船上で一切火を使わずに味わえる料理として考案されたのが始まりと言われます。
かつて瀬戸内海には平安末期から北条を拠点に、河野水軍が勢力を奮っていました。その配下に芸予諸島を根城にして、村上三氏が能島・来島・因島を村上水軍として制海権を握っていました。
河野旗下には松山市を中心に忽那(くつな)水軍もあり、彼らは水軍として戦争にも出向きますが、普段は瀬戸内海を航行する船を襲ったり、警護料として金品を巻き上げる海賊として跋扈していたのです。
瀬戸内海は昔から魚介類の豊穣な漁場としても有名でした。流れの速い瀬戸内の海では魚は身が引き締まって大変美味で有名でした。この鯛を使って鯛めしが作られたのですが、東予・中予の鯛めしとは全く別物として「ひゅうがめし」は発展してきました。
「ひゅうがめし」は水軍が考案したという説です。水軍が戦いに勝って船上で酒宴を開くときに、酒を入れた器に飯を盛り、そこに鯛の刺身を乗せて食べたことが始まりのようです。酒宴の締めの一品として味わっていたということです。
もう一つの説は日振島の漁師たちが考案した「日振」説です。西予地区の日振島では新鮮な魚を使って、火を一切使わずに素早くかつ魚の良さを生かした料理が考案されました。その料理は「日振」と呼ばれ、それがなまって「ひゅうが」と呼ばれるようになったという説があります。新鮮な魚介を用いた料理をあえて「日向めし」と呼んでいます。
このほかに宮崎県の日向の国から伝わったという説もあります。いずれにしても愛媛県南部の南予地区では今や郷土料理として、世のグルメたちの舌を、鼓のようにいい音で奏でさせているのではないでしょうか。