京都、大阪に出掛けてうどん屋か蕎麦屋に入ると、必ずと言っていいほど「にしん蕎麦」がメニューにあります。
身欠きニシンの甘露煮がかけそばの上に乗っかっているものが出てきますが、これは旨いです。
素焼きした身欠ニシンを、醤油やみりんに砂糖を加えた汁で煮て照りを出しています。
長時間煮込んでいるため、骨も柔らかくトロトロとしたニシン本来の身と脂の旨さと、煮汁の甘さ、昆布だしの薄口の出汁が絡み合って、もう絶品です。
あの味を思い出しながら書いているだけでも、とても食べたくて堪りません。
只今正午前、お腹の虫が猛っています…どうしてくれようぞと。
他にうどん屋、蕎麦屋の突き出しや、居酒屋の一品料理で身欠ニシンがあるのも近畿の食文化の特徴であると思います。
ニシンと言えば東北北部、北海道が有名な産地ですが、それが何故関東をすっ飛ばして関西で馴染みな魚になっているのか不思議ですね。
なので調べてみました、猛烈な空腹感と誘惑に戦いながら。
時間は安土桃山時代まで遡ります。
豊臣秀吉が天下を握り、城下町大坂を経済都市として発展させます。
大坂の街中に太閤用水を造り、全国から買い付けた商品を運ぶ船はこの用水路を経由し、川沿いの蔵に収めていました。
全国の物流の拠点として、大坂の街並みが発展してゆくのでした。
江戸時代に入り政治の拠点が江戸に移った後も、大阪は経済都市の色が更に濃くなり、全国の藩が大阪に蔵屋敷を設け、日本の物流、商業の中心地として「天下の台所」という揺るぎないものになったのです。
この頃、大坂の大商人たちが北前船という定期航路を開設します。
買い取った商品を運搬するという船ではなく、航行する船主が商品を買い、行く先々の港で船に積んでいる商品を売買しながら利益を出すというシステムでした。
大坂を出航後、瀬戸内海、日本海沿岸に出て商売をしながら北上します。
北前船の終点は北海道の小樽港でした。
小樽港で、酒、飲食品、煙草、衣類など日用雑貨を販売し、鰊粕(商品栽培のための肥料)、身欠ニシン、カズノコ、昆布、干しナマコ、イワシの干物を購入して来た道を戻り、最終的には大坂へ戻ります。
北海道で買い付けた身欠ニシンは、京都で特に人気がありました。
京都・四条大橋近くの芝居茶屋北座に1861年(文久元年)「松葉」という蕎麦屋が開店します。
その後1882年(明治15年)に店を歌舞伎座の南座に店を移し、二代目店主の松野与三吉氏が、にしん蕎麦を発案します。
関西風の薄口だしのかけそばにニシンの甘露煮を載せた温かいそば、もりそばを使用した「ひやし」もあり、京都の九条ネギを刻んで使用しています。
このにしん蕎麦が京都で大流行して、大阪にもすぐ伝わります。
北海道のニシンと近畿のニシンの食文化の繋がりは江戸時代の北前船によるものだったのです。
今でこそニシンは関東にも出回っていますが、近畿ほど馴染みがある魚ではありません。
先日、いつも御贔屓にしている魚屋で身欠ニシンが売っていました。
買わない訳がありません。スキップしながら家路につきました(笑)
素焼きで食べましたが、ニシン特有の脂の深い旨みは非常に美味しいですね。
とてもやみつきで御飯が何杯も進みます。
後味にちょっと苦さを感じるかも知れませんが、そんなときは身にほんの少し(ココ重要)塩を振りながら食べると苦味が気にならなくなり、すがすがしい旨さになりますよ。