昨年9月に発生した黒潮の蛇行は、近年まれに見るほどの大きな“振れ”があることを前回おはなししました。
黒潮が大蛇行することの詳細が判明したのは1975年(昭和50年)のことで、この蛇行とは一時的な海流の異常ではなく、蛇行した流れが長期に渡り安定していることが判明しています。
ちなみにその昭和50年当時の黒潮大蛇行のときでは、工業排水で汚い東京湾の水が澄んで底が見えた程だったそうです。
1927年(昭和2年)、当時神戸にあった海洋気象台所属の調査船「春風丸」は、日本付近の精密な海洋調査を実施したことにより、日本周辺を流れる海流の存在が明らかになりました。
また春風丸の調査成果として「海流図」が生まれ、日本の南海上を航行する船舶にとって重要な“ナビゲーションツール”となりました。
船が西から東に向かって航行するときは黒潮の流れに乗り、逆方向に進むときは黒潮の海流を避けて航行するのです。
効率よく海流を公開に利用することで、燃料や航行時間の節約に繋がります。
しかし実際に「海流図」に基づいて航行したところ、地図とは異なる海流が目前にあることがしばしば起こりました。
そして海軍もこのことは早くに察知しており、春風丸の海流調査から8年後の1933年(昭和8年)巡洋船“鳥海”が土佐沖の海流を調査したところ、海流図よりも黒潮の存在位置がずれていたことが判明しました。
そしてその後も潜水艦が別々の軍港を出港して四国沖で落ち合う“ランデブー訓練”の際、海流の流れが海流図とは違っていたため落ち合えなかったケースが相次いで起こっていたのでした。
船舶での海流調査は表面の流れだけ、しかも海面に吹き付ける風が影響することに対して、潜水艦による海流調査は風の影響がない水中深くの地点で行うため精度が上がります。
そして海軍はついに日本付近を流れる海流は、時期によって変わっていることを突き止めたのでした。
つまり、海流図を作成した1927年当時と海軍が調査した1933年時点では、黒潮の流れは蛇行をしており変わっていたのです。
ちなみにこの当時は黒潮大蛇行のことを「黒潮異変」と呼んでおり、戦後以降、黒潮にまつわる様々な研究と観測により大蛇行は“黒潮が取る安定した経路のひとつ”ということが判明したのです。
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