羽田沖は魚の楽園・東京湾漁業事情


私はひと月に数回、大阪に出掛けています。
某航空会社のマイレージサービスにすっかり囲われているので、東京・大阪間の移動は飛行機を使っています。
北風が吹く日の大阪便はスポットアウト後、2010年に新設された東京湾沖合のD滑走路へタキシングします。
飛行機がD滑走路に進入して離陸準備をしているとき、機窓からは沖合や多摩川河口を航行する大型タンカーや貨物船の群れの中に小さな漁船が操業している姿を確認できます。

羽田空港付近の沖合は、古くから江戸前寿司の主要ネタ、アナゴの好漁場なのです。
脂が乗った羽田沖のアナゴはとろけるような美味しさです。
江戸前とは東京湾のことを指し、豊富な魚種が獲れるこの海は江戸っ子の自慢です。
黒潮に乗ってきた暖流が湾内に流れ込み、サンゴや南方種の魚も存在していました。
江戸時代から湾内の漁業活動は盛んで、粋な漁師たちが江戸の食生活文化に貢献していました。
東京湾内には、多摩川や荒川など大きな川が運んできた水には栄養豊富なプランクトンが含まれています。
小さな魚や貝がプランクトンを食べ、大型魚がそれらの魚を食べるという食物連鎖が出来上がっています。
東京湾は波が穏やかで稚魚が育ちやすい環境であり、湾内で育った魚は湾外の荒波に呑まれて育ってきた魚よりも脂や旨みが乗っているのです。

近代に入り東京湾は、港湾整備や工業が発達するに連れて埋め立て工事が進み、徐々に魚が住みづらい環境になってきます。
そして、昭和時代の高度成長期には生活排水や工業排水などが東京湾に流れ込み、魚の生活する環境は悪化を辿り漁獲量が大幅に減った結果、東京湾で操業していた漁師たちが次々に廃業してゆくのでした。
1970年代には湾内の汚染がピークに達して、ヘドロが酷く水中溶存酸素量が減り、赤潮や硫化水素が発生する青潮の発生は「死の海」と揶揄されていたほどです。

昭和50年代になり、ようやく東京湾内の再生計画が進みます。
昭和45年に制定された水質汚濁防止法など環境法により工業排水の処理を厳格化、東京湾に注ぐ河川で家庭排水、下水や汚水などの高度処理施設の設置、さらに東京都では地域公害防止計画を独自に定め、水底の汚泥(ヘドロ)の取り除き作業、海上清掃、水質のモニタリングなど継続的に行っています。
そして、人工浜や藻場、干潟などの造成を湾内各所で行っています。
横須賀側湾口と東京・千葉湾奥では海水の水質に差がありますが、徐々に東京湾全体の海水が「綺麗」を取り戻しつつあります。

現在、東京湾の湾奥でもアナゴを始め、カタクチイワシ、コノシロ、スズキ、ハゼ、ボラ、カレイ、タイ、シジミの漁があります。
汚染がピークだった70年代に比べて、東京湾に生息する魚種は増えていますが、個体数は増えているとは言い切れない状況です。

羽田沖のアナゴはアナゴ筒による漁を行っていますが、筒の横に穴が設けられており、成魚サイズに達していない小さなアナゴが逃げられるように工夫がされています。
都内の漁師は禁漁日を設ける申し合わせをしていますが、申し合わせ対象外の神奈川、千葉の漁師、釣り船の遊漁者にも禁漁日を守るよう呼び掛けており、それに応えています。

飛行機が離陸して、低空で東京湾上空を西に旋回していると漁船の姿が多いことに気付きます。
東京湾の更なる浄化と、魚の資源回復、そして漁業の永続を願ってやみません。

画像出典元:http://emunodinner.com/

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