蒲鉾のおはなし その2

さて前回は蒲鉾の歴史についてお話ししました。
昔の蒲鉾は竹の枝に魚のすり身を擦りつけて焼き上げたもので、今の竹輪のような形状をしていたのでした。
そして現在のような板付状の蒲鉾が作られるようになったのは室町時代になってからといわれています。

1752年(宝暦2年)に記された「摂戦実録大全巻一」によると、豊臣秀吉の三男である秀頼が大坂城へ帰還途中、伏見お抱え料理人の梅春が蒲鉾を作って振る舞ったことが綴られています。
そのときの蒲鉾は、魚のすり身を板に擦りつけてそのまま焼いた“焼き抜き蒲鉾”というもので、1859年(安政5年)に刊行された「及瓜漫筆」によると蒲鉾の作り方は以下のように記されています。
『魚どもを取りよせ、大勢よりて、ひたとおろし、骨をさりて、大きな臼を二ツ三ツならべて、おろしたる肉を入れ、杵をもってければ、即時にかまぼこになりけるを板につけ、庭の中に長く掘り、隅の火を卓散におこし、畳を左右に立ならべ、かまぼこを段々に指て炙り』

現在のような蒸した蒲鉾はもう少し後の時代、江戸時代になります。
江戸時代末期になるとこれまで焼いて作られていた蒲鉾から蒸し上げて作る蒲鉾に取って代わられてしまい、焼き蒲鉾は廃れてしまうのでした。
しかし、それは江戸での出来事で、関西では蒸したものを更に焼き上げるものが作られていたのでした。
1849年(嘉永2年)に刊行された「守貞漫稿」では、大阪、兵庫、堺で作られた蒲鉾は京都へ売られるものが多かったのですが、ただ蒸し上げただけでは痛みが早いので、少しでも長持ちさせるために焼く工夫がなされていたことが綴られています。
また、この頃になると赤、白、緑などに染め分ける細工蒲鉾が作られるようになりました。

蒲鉾はなかなか値が張るものですが、実は無理もない点が幾つかあります。
まず、第一に蒲鉾は出来上がりの3倍もの原料が必要なのです。
つまり、蒲鉾を作るには魚の肉の“よいところ”しか使えず、蒸し上げると水分がぐっと少なくなってしまうのです。
そしてつぎに、蒲鉾はどんな魚から出来るとは限りません。
蒲鉾を作るには“足”といって、出来上がった製品の弾力が強くなければなりません。
このように「足が強い」蒲鉾を作れる魚は限定されてしまいます。
画像出典元:http://xn--59jtb317n5pap61gg67d.com/archives/21478.html

 

蒲鉾のおはなし その1

蒲鉾のおはなし その3

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