おせち料理で欠かせないもののひとつに“蒲鉾”がありますね。
重箱の中にある紅白の蒲鉾はお正月の目出度さを引き立たせますが、これは蒲鉾の形を「日の出」に見立てて縁起がいいことから祝膳に使われているのです。
白色は「清らかな心」、紅色は「邪気を払う」ことを意味しています。
このような目出度い行事に蒲鉾が使われるようになったのはいつ頃かはっきりしていませんが、平安時代初期には貴族階級の祝膳料理で用いられていた記録があり、かなり昔からということには違いないようです。
“蒲鉾”とは形状が蒲の穂に似ていることから名付けられています。
ちなみに“蒲の穂”とはガマの油でお馴染み、水辺に生息するガマ科の多年草です。
古くは竹の棒に魚のすり身を擦りつけて焼き上げ、今の“竹輪”に似ていた形状をしていたそうです。
こうした形の蒲鉾は西暦169年、仲哀天皇の皇后である“神功皇后”の時代から作られていたとも云われていますが、正確な記録として残っているのはそれから千年も先の平安時代初期、「類聚雑要抄」で関白右大臣藤原忠実が1115年(永久3年)7月21日に東三条殿(現在の京都市中京区押小路付近)へ移転したときに出された祝賀料理の献立に“蒲鉾”の字と図が記されています。
そして室町時代、つまり足利時代では1496年(明応5年)に刊行された「節用集」という字引きでは“蒲鉾”という言葉が掲載されています。
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