みそ汁の具として代表的な「シジミ」の話です。
日本人は味噌汁が大好きです。朝の台所から味噌汁のうまそうなにおいが漂ってくると、目覚めもよくなりそうですね。
潮干狩りでたくさんの蜆を獲って家に持ち帰り、蜆の味噌汁を作ってもらった人も多いのではないでしょうか。
1960年から70年代にかけて日本は高度経済成長の時代でした。人々は一見豊かになったように見えましたが、自然環境の破壊は進み、河川から貴重な水産資源が奪われたのです。
多摩川ではアユや鮭、手長エビやうなぎなどもたくさん獲れた時代もありました。
そして多摩川でも御多分にはもれず、水質は汚染され1960年半ばからは蜆も姿を消してしまいました。
以来多摩川は汚れた川として、生活排水や工業廃水は流れ込み、川面は白い泡で覆われ、水中からは腐敗したガスが湧き上がっていました。
あれからおよそ40数年が過ぎ、多摩川に蜆が戻ったという情報が入りました。
川崎河川漁協によると、10年ほど前に多摩川で潮干狩りをしている人を見つけたのです。
まさかあの汚い多摩川に蜆が住むとは考えもしなかったのですが、蜆は復活していたのです。
「多摩川に蜆復活」の情報は瞬く間に広がり、近隣の県からは漁船を仕立てて多摩川に集まりました。まるでゴールドラッシュのようだったと漁協関係者は当時を振り返っています。
多摩川の蜆は「ヤマトシジミ」が殆どで、「江戸前シジミ」「羽田沖シジミ」などと呼ばれて市場に流通しました。
2009年の多摩川産シジミの漁獲量は25トンでしたが、翌年には152トンにまで一気に漁獲量が伸びました。
一般の潮干狩り客なども含めて、シジミ採りは後を絶たず、小さなシジミまで持ち帰ってしまいます。獲ったもの勝ちといった様相ですね。
地元の漁協では多摩川の蜆の乱獲を問題視して、2013年には漁業権を設定し、漁業ルールを設けました。
シジミの産卵期は8月です。この月を禁漁期間とするなど、漁業関係者にルールを設け、一般の人にも理解を呼び掛けています。
しかし禁漁期に多摩川を訪れると、バケツやクーラーボックスを持った人が入り込み、蜆採集をしているのです。
一般の人は禁漁とは知らなかったという人が多かったようですが、漁業者を含み密猟者は後を絶たないのが現実のようです。
資源の枯渇を恐れる川崎漁協と、大田区の漁協では、東京都に漁業権を申請し受理され、「一般の潮干狩りは2㎏まで」というルールを決めているが、あくまでも「お願い」で罰則はありません。
シジミの乱獲をめぐっては全国の名産地で取り組みが続けられています。
島根県の宍道湖では、深夜の密猟が続いており、2009年には内水面漁業調整規則を改正し、知事の許可制を導入。違反者には上限200万円の罰金を科すことになりました。
青森県の十三湖では、10月~4月までを禁漁期にし、地元漁協が雇い入れた監視員が、毎晩見回りをしているところもあるのです。
水産資源は無尽蔵ではありません。全体の量を把握もせずに、獲り続けるから資源は枯渇してしまうのです。1957年(昭和32年)のニシン消滅に学ぶことが大切だと思います。