日本海沿岸の人々と風土文化を共に生きている魚・ハタハタ (その2)


ハタハタの漁期は秋田では産卵期の11月から12月、秋田に次いでハタハタの消費が多い鳥取では9月から5月となっています。
同じ魚種でも何故漁期が異なるのか?それには明確な理由があるのです。

秋田では定置網や刺し網で産卵のため浅瀬に上がってきたハタハタを漁獲します。
卵を持った魚が沢山獲れるのが特徴です。
一方、鳥取は日本海深海で餌を求めながら回遊しているハタハタを、底引き網で漁獲します。
成魚は卵を持っていませんが脂が乗っています。

ハタハタ消費日本一の秋田県は魚価も安く安定していたので、県内の消費者は箱買いで購入することが日常でした。
古くより、冬の初めに獲れたハタハタを各家庭で味噌漬けや塩漬けにして、保存食として冬の間の大切なタンパク源とされていました。
また、ハタハタ抜きでは正月が迎えられないといわれるほど、郷土風習に根深く関係していました。
秋田の昭和40年代のハタハタ水揚げ量は、常に年間1万トン以上もありました。
ところが昭和50年代に入ると急激にハタハタの水揚げが落ちてしまいます。
ハタハタの姿が薄くなった海になってしまっても、そこにあるだけのハタハタを捕りづけてしまったことで、ハタハタが成魚になるまでのスピードが追い付かなくなり、やがて資源枯渇危機に陥ります。
年を追うごとに漁獲量は更に減少してゆき、平成3年には水揚げ量が70トンと最盛期の0.7%まで悪化します。
このままでは、秋田のハタハタが完全枯渇するまで時間の問題でした。
秋田県関係者、漁協、漁師との話し合いで翌年の平成4年から3年間、ハタハタの禁漁を決定します。
生活が掛かっている漁師にとっては禁漁に強い抵抗感もありましたが、ハタハタの資源が回復することを願い禁漁に同意しました。
この期間中、県は漁師に禁漁補償をして、ハタハタの流通は県外産を利用します。

3年後の平成7年9月、再びハタハタ漁が解禁します。
この年の水揚げ量は170トンと、平成4年よりも倍以上の漁獲でした。
県はハタハタ資源の回復のため、各漁協への水揚げ量割り当てを行い、資源管理に取り組みます。
また、成魚に達していない魚を捕獲しないことや、藻に産み付けられた卵(ブリコ)の採捕禁止、波打ち際に上がったブリコは食さずに海に戻すなど漁業関係者が一丸となってハタハタの資源管理に取り組んでいます。

最近は年間水揚げ量が1,000トン以上に達しましたが、魚価の値下がりが著しく平成26年は禁漁解禁の平成7年と比べて8分の1となっています。
県によると、割当量以内の操業であっても漁協を介さずに直接業者に出荷した分の魚や、成魚に達していないサイズの捕獲などという供給側の理由、県外産の流通や需要そのものが減っているといったことが分析されています。

せっかく資源管理してハタハタの資源量が回復しているのに、魚価がつかないのは漁師たちにとっては辛いことです。
秋田県は安定したハタハタ供給のため平成27年度より、これまで水揚げ割り当て量には含まれていなかった小型魚の水揚げも割り当て量に含む、網の目合いを大きくして小型魚は漁獲しない、漁獲量を更にきめ細かく調整することを指標にしました。
そして、ほとんど県内のみで消費されていたハタハタを県外にアピールすることで、マーケットの拡大に繋げたいとしています。

 

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