イギリスとタラの戦争 その1

前回はイギリスのソウルフードである“フィッシュアンドチップス”について綴りました。
具材に使われる魚は特にタラ類の身が美味しいこともお話しましたが、タラは日本同じく水産資源に於いて大切な魚なのです。
そしてイギリスは過去にアイスランドとタラを巡って戦争していたのです。
しかも20年近く。
そんな“タラ戦争”ですが、いったいどんなものだったのでしょうか。

この紛争の発端は第二次世界大戦が終結して13年が経過した1958年です。
世界大戦が終わって一段落が付いたと思ったら、今度は米ソを柱とする東西冷戦が始まり、再び全世界が緊張に包まれてしまった頃です。
イギリスの北西、北大西洋上にあるアイスランドが自国の領海を4海里から12海里に拡大したこと法律に定め、宣言をしました。
このことを受けたイギリスはアイスランドの主張は認めず、海軍艦隊を派遣してアイスランドの沿岸警備隊に対して砲撃など行いました。

両国間小競り合いが続き、一時は国交が断絶の危機となりましたが、それでも国交は維持することは互いに確認したため戦争状態になることは避けられました。
当時のマスコミはこの紛争を東西冷戦“Cold War”に引っ掛けて”Cod War“という呼び方で報道していました。
“Cod(コッド)”といえば、イギリスのフィッシュアンドチップスで絶対に欠かすことができないタラ類の魚です。
そのため日本語に翻訳されたのが“タラ戦争”だったのです。

言葉遊びで実際のタラは関係ないのかとお思いでしょうが、領海を巡る紛争ということは当然領海内で獲れる水産資源についても対象になります。
事実、イギリスとアイスランドの間の北大西洋は、タラの好漁場が幾つもあるのです。
アイスランドは資源的に乏しく、また長い間デンマークの支配にあったためヨーロッパの中でも貧しい国のひとつでした。
1901年イギリスからトロール船を購入した結果、自国付近の海には豊富なタラの漁場があったため水産資源で国の富が増していったのです。
1944年にデンマークから独立したアイスランドはそのときもタラの水揚げが国の大産業だったのですが、第二次世界大戦後他のヨーロッパの国々の漁船が押し寄せてきたためタラの水揚げが減ってしまったのです。

当時の米国大統領トルーマンが大陸棚の資源は沿岸国が管理できるという「トルーマン宣言」を根拠にアイスランドは自国水産資源の保護と確保のために領海拡大の宣言をするに至ったのでした。
当時の漁師の間では海は自由なものであるという“公海自由の原則”が一般的だったため、自国水産資源保護のために領海内の操業を制限するということはとても画期的なことだったそうです。

画像出典元:https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E3%82%BF%E3%83%A9&ei=UTF-8#mode%3Ddetail%26index%3D2%26st%3D0

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イギリスとタラの戦争 その2

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