二月が終わりました。
相変わらず冷たい北風がまだ吹き続けていますが、日に日に少しずつ柔らかくなってゆく太陽の光に春の訪れを感じます。
商店街を歩くと八百屋の軒先にタラの芽やフキ、ヤマウドなど春の野菜が並んでおり、その隣の魚屋にはヤリイカやサヨリなど春を告げる魚が並んでいます。
春の訪れを告げる魚は何種類もありますが、とりわけ初春を告げる魚といえばシラウオとワカサギではないでしょうか。
シラウオは5センチから10センチほどの、白く透きとおり可憐で弱々しく見える魚で、島根県の宍道湖は有名の産地のひとつで「宍道湖珍味」のひとつとしてされています。
漁獲直後は完全なる透明な体ですが、死んでから時間が経つと白く変色してゆきます。
これまでシラウオは普段海に生息しており、春の産卵期になると河口など汽水域に訪れてアシの茎に産卵するとされていましたが、近年、シラウオは一生を汽水域で生活しているという説が提唱され、研究が続いているところです。
弱々しい見た目のシラウオは可憐で美しい女性の指先に例えられたりしていますが、一方で「トノサマウオ」という勇ましい名前を持っています。
徳川将軍時代、江戸の隅田川で獲れるシラウオは名高く、江戸名物のひとつになっていました。
シラウオは元々隅田川には存在しておらず、シラウオを好んだ徳川家康が伊勢国桑名よりシラウオを取り寄せて隅田川に移植したことが始まりとされています。
正月になると江戸湾の佃島周辺で獲れ始め、二月以降になると隅田川を遡上してくるものでした。
佃島に住む漁師たちは家康のおかげで十分な暮らしができることをありがたく思い、家康の死去後は毎年命日の1月17日になると「御神酒流し」という、佃島神社の神主や囃方を船に乗せて海上で御神酒を流す祭りをしていました。
この祭りをすると徳川家の家紋、葵の紋が頭に付いたシラウオが獲れたといわれています。
隅田川で獲れたシラウオを将軍に献納する行事は徳川家が実権を握っていた300年間行われており、「御本丸御用」と朱色の墨で書かれた黒塗りの箱の中に「御用白魚」と書いた箱を入れて江戸城へ運びました。
これを運ぶときは大名の行列を横切っても文句が出ないほどだったといいます。
また、この献納用のシラウオを獲るときは舟に御用幟(ごようのぼり)を立てて、漁師は「佃」と染め抜いた赤い襦袢を着て藁の帯を締めて、勇ましい姿で漁に挑んでいました。