かつおのおはなし その2

前回はカツオ船のお話を綴りました。
今も昔も一本釣りが主流のカツオ船が黒潮沿いの海の漁場を目指しています。
夏空の下、沢山の物干し竿ほどの太い竿が振るわれて大きなカツオが次々と釣り上げられる光景はとても勇ましいものであります。

カツオは海の表面近くを活発に泳ぎ回る魚なので、体は水の抵抗を受けにくい紡錘形をしています。
そして体のメカニズムも常に泳ぎ回ることに対して有利にできており、魚の呼吸作用と関係がある“血合い肉”が多いのです。
これはカツオ以外に、マグロ、イワシ、サバなど表層を泳ぐ魚には同じ傾向があります。

カツオは年間30万トン近く水揚げされており水産上重要な魚ですが、鮮魚流通よりも加工品や非食品として扱われる割合が遥かに多いのです。
概ね鮮魚で流通して刺身や煮付けなどで食される割合が2割としたら、加工・非食品が8割といったところです。
加工品でトップシェアといえばやはり“かつおぶし”ではないでしょうか。

かつおぶしは日本発祥の食品で非常に長い歴史があります。
縄文時代には既に鰹節が食べられていたことが青森県の八戸遺跡などで発見されています。
日本最古の歴史書「古事記」に記載されており、701年の大宝律令ではかつおぶしが朝廷に対して献納品として指定されました。
今でも神社の屋根の上、棟木の上に横に数本並べている木のことを鰹木(堅魚木)といいます。この“鰹木”とは建物の補強のためにされており、かつおぶしのような形でしかも固いことが由来だそうです。

今ではかつおぶしはもっぱら出汁を取るためなど調味料的な存在として使われていますが、元々は保存食品として使われていました。
戦国時代では兵士の食料として非常に重要なものだったといいます。

さてさてかつおぶし、昔はただ単にカツオの身を乾かすだけで特に手間が掛かっていた訳ではなく、現在の様な手法で造られるようになったのは江戸時代の延宝の頃になってからです。
甚太郎という人物が現在の荒節に近いものを作ることを発明し、高知の土佐藩では藩を挙げてこの手法の製造に取り組みました。
江戸時代では鰹節の番付けがされており、明治時代には品評会が開催されていたのです。

画像出典元:http://70393530.at.webry.info/201005/article_25.html

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かつおのおはなし その1

かつおのおはなし その3

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