助六さまとお寿司のお話


人間シジューを過ぎると、食に対する嗜好が確実に変化しますね。
先日、かなり久々に某有名トンコツギトギトラーメン店(ニンニクマシマシのコールで有名なお店です)にて、一番小さいと言われるラーメンを食べましたが、胃もたれが凄すぎて。
三十代だったら大盛り、豚ダブルは余裕で食べられるクチだったのですが…。
多分、今年は横浜家系を含め、豚骨ラーメンを食すことはないと思います。
アア、俺ハモウ若クハナイノダナ…そんな言葉が身に沁みます。
一方、これまで特に好んで食べたいと思わなかったものが、とても美味しく感じて大好物になるたべものがありますね。
私の最近では「助六寿司」がその一品です。
稲荷寿司と海苔巻きの素っ気ない詰め合わせですが、これがとても美味しい。
子供の頃は見向きもしなかったけどなぁ。
今日も昼食に助六寿司を食べようと思います。
助六寿司を食べていると、いつも頭の中に「煙管の雨が降るようだ」という台詞(セリフ)が渦巻きます。
もし、この台詞を知っている方がいらっしゃったら結構な歌舞伎通とお見受けします。
さて江戸中期の江戸城下町、この頃は握り寿司の文化がありました。
粋な江戸町民は、東京湾で獲れた新鮮な魚介類をネタにした握り寿司を、立ち食いで頬張ることが流行りでした。
ちなみに当時の握り寿司1カンは、現在より2倍程度の大きさだったそうです。
オニギリの上にネタが乗っかっている状態でしょうか。
当時の江戸は幕府の財政も厳しく、度々倹約令が庶民に対して出されていました。
握り寿司もその対象となっており、なかなか気軽に食べることができなくなりました。
そこで生まれたのが稲荷寿司と海苔巻き寿司です。
これらの詰め合わせを「助六」と呼ばれる様になったのは、当時江戸で大流行の歌舞伎演目で「助六所縁江戸桜」というものがありました。
今でも歌舞伎宗家・市川團十郎家のお家芸として人気で名高い歌舞伎十八番です。
数年前に團十郎さんがお亡くなりになり、歌舞伎でこの演目はありませんが次の宗家である海老蔵さんが團十郎の名を継いだとき、再び舞台で助六を見ることができるでしょう。
稲荷寿司は使われている油揚げの「揚げ」と人、海苔巻きの「巻き」から「揚巻」と呼ばれますが、「助六所縁江戸桜」の主人公助六の愛で、吉原の気高い花魁の名前は「揚巻」という名前です。
また助六が頭に巻いている紫の鉢巻きを海苔巻きに見立てました。
歌舞伎の助六の人気に押されて、いつしか「助六寿司」と呼ばれる様になったのです。
さて、セブンイレブンに行ってこようっと。
画像出典元:http://blog.goo.ne.jp/tanataka2013/

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