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	<title>小魚 - 魚の総合メディア | サカマ図鑑</title>
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	<description>魚に関することいろいろ</description>
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	<title>小魚 - 魚の総合メディア | サカマ図鑑</title>
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		<title>佃煮のおはなし　その2</title>
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		<dc:creator><![CDATA[サカマ]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 07 Feb 2018 11:00:33 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[さかなの豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[小魚]]></category>
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					<description><![CDATA[さて、今回は徳川家康と佃煮のおはなしをしましょうか。 時は1582年(天正10)6月4日。 当時の天下人、織田信長が明智光秀の謀反によって本能寺で倒れたのが、その2日前の6月2日の早朝です。 そのとき家康一行はわずかな手勢とともに大坂・堺の…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>さて、今回は徳川家康と佃煮のおはなしをしましょうか。<br />
時は1582年(天正10)6月4日。<br />
当時の天下人、織田信長が明智光秀の謀反によって本能寺で倒れたのが、その2日前の6月2日の早朝です。<br />
そのとき家康一行はわずかな手勢とともに大坂・堺の地を遊覧していたのです。<br />
光秀の関係者に見つかったならば、信長の盟友である家康が無事のままでは済みません。<br />
家康は岡崎城へ戻れないと狼狽してしまい、一時は信長の後を追ってしまうほどの勢いでしたが、家臣の本田忠勝の説得で落ち着きを取り戻しました。</p>
<p>運良く、堺の商人・茶屋四郎次郎の知らせで一行は退路が阻まれていることを知り、異変を知らないふりをして住吉神社参拝ということにして、岡崎とは逆の方向を迂回して脱出することにしたのです。<br />
家康一行が、佃村（大阪市住吉区）の神崎川に差し掛かりましたが、次の一難、渡り船が見つかりません。<br />
川が渡れず途方に暮れていたとき、佃村の庄屋・森孫右衛門は、自分たちの手持ちの漁船と不漁のときに備えていた小魚の煮物を道中食・兵糧として家康一行に差し出したのです。<br />
梅雨という気候の悪い時期に、人里から離れた海路や山道を通って敵に見つからず、岡崎城に帰らなければばらない一行にとって、佃煮の始まりである小魚の煮物は味が良ければ日持ちも良く、貴重な栄養源となったのです。<br />
佃村通過後、服部半蔵を頭とする伊賀忍者部隊に助けられながら伊賀国の険しい山越えをして、加太峠を抜け伊勢国から海路で岡崎城ヘと帰り着いたのです。<br />
貝や小魚を塩ゆでにした佃村の煮付けや、忍者食など助けてもらった伊賀衆と一緒に食べた家康は心よりこれらの食事のありがたさを感じました。</p>
<p>その後、1590年(天正18年)に家康は関東移封のため江戸城に入りますが、そのとき伊賀の地侍たちは江戸に召し抱えられ江戸城の警護役を勤めました。<br />
江戸城の半蔵門の名は“服部半蔵”の名前が由来となっています。<br />
そして家康を助けた佃村の人達への信任は、大変篤いもので江戸入来のときには佃村の漁民たちを江戸に呼び寄せて、江戸湾での漁業をすることに対して特別な漁業権を与えたのです。<br />
また家康は1615年(慶長20年)の大阪の陣に備えて、佃村の漁民に対して大名屋敷の台所へ出入りのできる特権を与え、佃村の漁民たちは敵方・豊臣秀頼が率いる大坂の動向を探る密偵となって活躍したのでした。<br />
<cite><a href="https://blogs.yahoo.co.jp/mitimitimittyann_press/27522048.html" target="memo" rel="noopener">画像出典元：https://blogs.yahoo.co.jp/mitimitimittyann_press/27522048.html</a></cite></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="https://sakama.tokyo/blog/archives/3038">佃煮のおはなし　その1</a></p>
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		<title>佃煮のおはなし　その1</title>
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		<dc:creator><![CDATA[サカマ]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 06 Feb 2018 11:00:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[さかなの豆知識]]></category>
		<category><![CDATA[小エビ]]></category>
		<category><![CDATA[小魚]]></category>
		<category><![CDATA[昆布]]></category>
		<category><![CDATA[貝]]></category>
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					<description><![CDATA[前回、海苔のおはなしをしていたときに佃煮について少し触れましたので、今回はもっと佃煮について色んなおはなしをしてゆきたいと思います。 皆様、炊き立てのご飯の準備はよろしいでしょうか？ではでは、レッツゴー！ さて一般的に佃煮とは小魚、小エビ、…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>前回、海苔のおはなしをしていたときに佃煮について少し触れましたので、今回はもっと佃煮について色んなおはなしをしてゆきたいと思います。<br />
皆様、炊き立てのご飯の準備はよろしいでしょうか？ではでは、レッツゴー！</p>
<p>さて一般的に佃煮とは小魚、小エビ、貝類、昆布など水産物や野菜、農産物、牛肉のしぐれ煮などのような肉類を原料にして、砂糖や醤油、飴、みりん、調味料などで作った濃厚な味わいの調味液を浸透させて且つ、甘辛く煮つめたもののことをいいます。<br />
日本各地にはご当地の食材を生かした佃煮が沢山あり、有名なものではイナゴや蜂の子など昆虫を原材料にした長野県の佃煮がありますね。<br />
蜂の子の佃煮、ワタクシは食べたことがありませんがとても美味しいようです…。</p>
<p>佃煮の始まりとは今から遡ること400年前、江戸の佃島で生活している漁民たちが江戸湾で獲れた魚のうち、商品にならない小魚や貝類などを甘辛く煮詰めて食べていたことが起源とされています。<br />
その頃は冷蔵技術がなかった時代だったので、魚を醤油で煮詰めることで長期保存ができるといった生活の知恵だったのです。<br />
また当時は現在のように漁業技術が発達していない時代、不漁になったときは今以上に深刻な事態になっていたのです。<br />
そのため不漁時の備蓄食品、漁にでるとき船内で食べる食事という“保存食”の役割が佃煮にはあったのでした。</p>
<p>漁民の間で佃煮文化が根付いてからしばらく経ったときのこと。<br />
漁民たちは江戸湾で獲れた魚で雑魚が多いときは佃煮を大量に作って町人に売り出すことを始めます。<br />
美味しいのに価格が安く、しかも物持ちがとてもいいことから瞬く間に江戸の町人の間で人気商品となったのです。<br />
更に参勤交代の武士たちが江戸の土産として各地に持って帰ったので、全国的に佃煮が普及することになります。</p>
<p>ちなみに佃島で漁業に従事していた漁民たちの故郷は摂津国の佃村、つまり大阪です。<br />
現在の大阪市西淀川区佃、大阪市と尼崎市の境となる神崎川の中州です。<br />
江戸初代将軍・徳川家康公が江戸に入るとき佃村の漁民を江戸に呼び寄せ、その見返りに「特別漁業権」を与えました。<br />
この漁業権は佃の漁民が、家康公のかつてない苦難に遭遇したときに助けたことによる感謝の気持ちと云われています。</p>
<p><cite><a href="http://maternitylife.info/817/" target="memo" rel="noopener">画像出典元：http://maternitylife.info/817/</a></cite></p>
<p><cite><a href="https://shop.sakama.tokyo/shop/shop/%E7%8F%8D%E3%81%97%E3%81%84%EF%BC%81%E5%B2%A9%E6%B5%B7%E8%8B%94/" target="memo" rel="noopener">岩海苔が気になったら、サカマショップ！</a></cite></p>
<p>&nbsp;</p>
<p style="text-align: right;"><a href="https://sakama.tokyo/blog/archives/3041">佃煮のおはなし　その2</a></p>
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		<title>平塚漁協が取り組んだ第6次産業の布石　その5</title>
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		<dc:creator><![CDATA[サカマ]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 08 Jan 2018 10:28:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[魚と地方活性化]]></category>
		<category><![CDATA[イカ]]></category>
		<category><![CDATA[イカ焼き器]]></category>
		<category><![CDATA[お魚せんべい]]></category>
		<category><![CDATA[カタクチイワシ]]></category>
		<category><![CDATA[サバ]]></category>
		<category><![CDATA[小魚]]></category>
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					<description><![CDATA[まだまだ平塚漁協が取り組んでいる“魚の販路拡大”のおはなし、続きます。 平塚漁協では消費者に魚をもっと食べてもらうきっかけになるようにと、軽トラックを改造したキッチンカーを導入してイベントに出動して“実演販売”に活躍しています。 導入したキ…]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>まだまだ平塚漁協が取り組んでいる“魚の販路拡大”のおはなし、続きます。</p>
<p>平塚漁協では消費者に魚をもっと食べてもらうきっかけになるようにと、軽トラックを改造したキッチンカーを導入してイベントに出動して“実演販売”に活躍しています。<br />
導入したキッチンカーにたまたま付いていた“イカ焼き器”にヒントを得て、カタクチイワシの小魚と米粉を丸ごとプレスした「お魚せんべい」は小さな子供に魚を食べさせたい主婦たちから大人気の商品です。<br />
平塚漁港ではサバの水揚げが多いので、最近では地元ローカルFMラジオ局とコラボして地元名産サバを使った名物料理を作ろうという企画が生まれました。</p>
<p>そうして生まれたものが“さばとろめん”、サバを細かく叩いたものをそぼろ状になるまで炒めてネギのみじん切りを加え、豆板醤や甜面醤、酒、みりんで味付けして、レタスなど野菜の上にうどんとタネを載せてキュウリでトッピングした“うどんバージョン”、サバを細かく叩いてそぼろ状になるまで炒めて、野菜と一緒に煮こんで味付けしたものを片栗粉でとろみをつけて中華麺にトッピングした“中華麺バージョン”というものがあります。<br />
さばとろめんを開発するにあたり、漁協職員とFM局のスタッフが漁協の会議室でサバを「手がしびれるまで」ミンチ状にして、試行錯誤した末にうまれた逸品です。<br />
さて移動販売のキッチンカーには音響装置が付いており、イベント出店時には地元FMラジオ局でオンエアをして、料理が出来た案内を中継するのです。</p>
<p>さばとろめん以外に最近ではサバの竜田揚げが売り出され、こちらも非常に人気があります。<br />
竜田揚げは至ってシンプル、生姜醤油にパティを漬けこんで片栗粉を付けて揚げるだけ。<br />
当初は洋風など様々な味わいの竜田揚げを試みたのですが、「平塚のサバの味わいを楽しんでもらう」ということが絶対条件だったので、一番シンプルな味付けでサバ本来の美味しさを消費者に楽しんでもらうことに重きを置いたのでした。<br />
サバの竜田揚げは「揚げ★マスター」シリーズと銘打っていますが、関東では有名な“平塚七夕まつり”にあやかって「★：スター」が盛り込まれているのです。</p>
<p>平塚漁協の様々な試みはさらにどんどん勢いが付いてきています。<br />
<cite><a href="https://blogs.yahoo.co.jp/mitana1965/34226469.html" target="memo" rel="noopener">画像出典元：https://blogs.yahoo.co.jp/mitana1965/34226469.html</a></cite></p>
<p><cite><a href="https://shop.sakama.tokyo/shop/shop/%E3%82%B5%E3%83%90-1280%E5%86%86-1%E5%B0%BE/" target="memo" rel="noopener">サバが気になったら、サカマショップ！</a></cite></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="https://sakama.tokyo/blog/archives/2937">平塚漁協が取り組んだ第6次産業の布石　その4</a></p>
<p style="text-align: right;"><a href="https://sakama.tokyo/blog/archives/2943">平塚漁協が取り組んだ第6次産業の布石　その6</a></p>
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