イギリスとタラの戦争 その2

前回の続き、1958年に勃発したタラ戦争のお話です。
NATO(北大西洋条約機構)の調整やアイスランドの政権交代などにより1961年にイギリスがアイスランドの主張を認めて終結しました。
そのとき交わした条約の中に「再び紛争が勃発したときには、どちらかの要請により国際司法裁判所に提訴できる」という一文が組み込まれています。
この一連の紛争を“第一次タラ戦争”と呼ばれています。

しかし第一次タラ戦争の11年後、1972年に再び紛争が勃発したのでした。
この年にアイスランド政権が交代しましたがその際、自国領海を50海里にするとした新法を制定します。
当該海域で操業をしていて、新しい50海里制定に納得しないイギリスと西ドイツは国際司法裁判所に提訴しました。
裁判では勝訴したものの、アイスランドは第一次タラ戦争終結のときに交わした「再び紛争が勃発したときには、どちらかの要請により国際司法裁判所に提訴できる」公文は無効として裁判を欠席していました。

この結果イギリスは再びアイスランド付近に海軍艦隊を派遣して自国の漁船保護にあたり武力行為の行使、対するアイスランド沿岸警備隊はトロール船の網を寸断する「トロールカッター」で自国以外のトロール船の網を切り裂いて応酬したのでした。
アイスランド政府は自国の領海内からイギリス艦隊やNATO戦闘機が出て行かない場合は国交を断絶すると警告し、これを受けてNATOの将軍は首都レイキャビクで交渉に出向きました。
イギリス艦隊を本国に帰すことを約束し、アイスランド政府は自国内の一部海域内にてイギリスの操業を認める、ただし年間の水揚げ量は13万トン、1975年までの暫定措置とするとしてこの紛争は終結しました。
これを“第二次タラ戦争”と呼びました。

それから3年後の1975年、第二次タラ戦争の暫定措置が切れるときを迎えました。
度重なる領海の拡大を続けても水産資源が回復しないアイスランドは、ついに領海を200海里に拡げることを制定します。
そして暫定措置の満了日を過ぎると再びイギリスとアイスランド両国間の紛争が勃発します。
このときの紛争が今迄の中で最も激しく規模が大きいものでしたが、奇跡的に死者は出ていません。
欧州経済共同体(EEC)はイギリスの主張に反して、ヨーロッパ全域内に自国の経済海域は200海里とすることを設定しました。
この200海里制定はその後全世界に普及しています。
NATOがアイスランドと交渉した結果、アイスランド海域内で年間24隻の漁船が操業できること、年間最大水揚げ量5万トンという条件で紛争が終結しました。
この紛争が“第三次タラ戦争”と呼ばれ、最後の紛争となりました。
ちなみに第一次から第三次までの間、死者は誰一人出ていません。

この紛争を通じて世界は自国の経済水域を設定して、自国の水産資源は自分で守って管理するという志向が普遍的となりました。

画像出典元:http://elliottyy.exblog.jp/iv/detail/?s=8408031&i=200808%2F07%2F26%2Fd0104926_6581282.jpg

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