土用の丑の日と鰻


7月に入りました。
まだ梅雨が明けてはいないものの、晴れ間から覗く太陽の強い光にすっかり溶けてしまっています。
夏は好きな季節なのですが、年々暑さに対する耐性が弱くなっている気がします。
海に出掛けて真っ黒になるまで焼くなんてとんでもない、今そんなことしたらヤケドしてしまいそうだ。
今日もエアコン全開で涼しく仕事しています…電気代が凄いことになりますが。
ところで暑い夏をバテずに乗り切る知恵というのは古来より沢山あるものですね。
例えば、大納言・大伴旅人の子で貴族であり歌人であった大伴家持は万葉集にこんな和歌を寄せています。
「石麻呂にわれもの申す夏痩せに良しといふものぞ【むなぎ】とりめせ」
これは夏の土用の日はとても暑く、食欲不振で夏痩せしやすくなるので鰻を食べるとよいということですが、奈良時代には既にこの考えがありました。
ただ「土用の丑の日」という言葉や概念はまだなく、これが庶民に広く知れ渡るのは江戸時代になります。
元禄元年のこと、江戸時代の学者として有名な平賀源内が知人の余り流行らない鰻屋を繁盛させるべく、店頭に「本日土用丑の日」と大書きしたところ、大変に人の目を引いて客が集まったということです。
この話が「土用の丑の日」で最も有名な説ですが、他にも面白い説があります。
江戸時代のある夏の日、神田和泉通りの鰻屋「春木屋善兵衛」のもとに、藤堂という殿様から大量の鰻の注文が入りました。
到底一日で作り切れる量ではないので、春木屋の主人は土用の子(ね)の日、丑の日、寅の日と三日間に渡り蒲焼を焼き続けました。
まだ冷蔵庫がなかった頃、出来上がった蒲焼は日付を記入した土がめに入れて密封しました。
そして迎えた納品の日、封を切ってみたところ「丑の日」に作った蒲焼だけ全く悪くなっていなかったというお話です。
文政年間に発行された「江戸買物案内」にこの話が収録されたとのことでした。
江戸時代初期の鰻のかば焼きは、長いままブッ切りにして串に刺して塩を振って焼き、主に屋台料理として気軽に食べるものでした。
現在の様に、鰻の腹を割いてタレを付けながら焼く調理法は京が起源で江戸時代中期に江戸に伝わりました。
享保年間に刊行された浮世絵には、深川八幡宮の門前に「めいぶつ大かばやき」の看板が描かれています。
そして文化年間に「大野屋」という鰻屋が、江戸で初めて鰻丼の前身である「うなぎめし」を販売しました。
この頃、鰻丼の値段は100文(現在でおよそ2,000円)とのことでした。
画像出典元:http://ameblo.jp/foigras/entry-11507034334.html

新鮮な鮮魚が手軽に買える、サカマアプリ

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事