江戸時代の魚のお話


さて唐突ですが、私と妻は「常磐津」という邦楽を嗜んでおります。
常磐津とは江戸時代に生まれた三味線音楽で、歌舞伎や日本舞踊で欠かすことのできないものであります。
歌舞伎の演目と同様、物語に沿って情景を語り、曲中に登場する人物の声色(こわいろ)で台詞がある素浄瑠璃というものに、中棹三味線で伴奏します。
有名なものでは足利尊氏と楠木正成の湊川の戦いを語った「大森彦七」、市川團十郎十八番の「助六」、坂東三津五郎十八番の「どんつく」、日本三景の一つである松島の光景の美しさを語った「松島」などがあります。
数ある演目の中、江戸時代の町民の暮らしや生活の様相を語ったものがあります。
その時代の魚と町民の関係について色々と面白いことがあり、今回はそれらについて綴ってみたいと思います。
江戸時代の東京は徳川家康公が江戸幕府を開き、日本の政治の中心地となりました。
現在の皇居が江戸城として将軍居留地として整備され、城下町は経済の中心地として大きく発展します。
皇居周辺の「内堀」、「外堀」を中心に隅田川を柱とした水路が整備され、江戸経済を支える流通路が完成します。
町内に水路が碁盤の様に通っているため、江戸町民は水路で獲れるフナやコイ、ナマズ、ウナギ、そして東京湾で獲れたサンマ、アジ、サバ、イワシ、シジミなど庶民がもっぱら食べる魚でした。
現在の魚食とほとんど変わりがありません。
コイは町民が手軽に食べる魚の一つでしたが、これは水質の悪い環境に生息する魚で、釣った魚はタライに移して泥を吐かせないと食べることができないのです。
手間は面倒でしたが強い生命力を持っているので、釣り上げたあともタライの中で数日は生きています。
泥を吐かせた後で調理をするとき、頭を落として内臓を取り出しても、心臓は鼓動を続けている強靭さを持っているため、新鮮な魚といえばコイだったのです。
江戸町民は魚を輪切りにして味噌で煮つけた汁仕立ての「鯉こく」、刺身にして冷たい水にくぐらせて身を引き締めたあとに、わさび醤油や酢味噌で食べる「洗い」にして食べていました。
江戸町民が好んでいた魚の代表格はカツオです。
当時鎌倉付近の相模湾で取れたカツオを、鮮度が落ちないよう「押送舟」という特別船で三崎を経て三浦半島を回って江戸に運ばれていました。
築地の魚河岸に到着したカツオは「御注進」といい、幕府に上納する特別なものでした。
初ガツオ1尾の値段はおよそ3両も(現在の通貨で30万円)したのでした。
この時代、初物を手に入れることは粋とされており、歌舞伎役者の市川歌右衛門が3両で購入したそうです。
はしりを過ぎると1分(2.5万円)まで値崩れしますので、このとき町民はなけなしの銭を叩いて買っていたのでした。
当時は刺身を芥子醤油で食べるのが流行りの食べ方でした。
画像出典元:http://yoshiyo.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-a965.html

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